洋服のリフォームのお店らしい名称をと考えて「いと」と名付けてスタートし、20年がたちました。
この20年を振り返ってみると、色々な事が思い出されます。草加市高砂のこの場所で設立、スタートする前に3年の準備ワーカーズの期間がありました。
私が、「いと」のメンバーになったのもこの頃です。草加支部の支部委員長をやっていた時に、役員で知っていた大石さんから、自分の洋裁の技術を生かせるワーカーズを作りたいという、相談を受けました。当時、理事をしていた奥田さんのはからいで、洋裁の仕事をしていたお姉さんの高月さんに協力してもらえることができました。そして、大石さんが代表で高月さん、奥田さんの3人で準備会ができました。
当初は、草加生活館の会議室を借りて、エプロンや小物を作って、支部のイベントなどで販売をしていました。私も、洋裁学校を卒業した後は、ピノキオ子供服で制服のデザイナーとして働いていた経験があったので、支部委員長を降りた時に、仲間に入れてもらいました。
1年、2年がたち、組合員から少しずつ寸法直しや注文服なども受けるようになってきていました。メンバーも増えて、準備会3年目には、150万円位の事業高があったと記憶しています。なんとかワーカーズとして、設立、発足したいと思い、場所探しをはじめました。
そんな時、メンバーの山本さんから自宅ビルの一室を安く貸してもらえることになり、1992年6月に設立することができました。
サンケイ新聞で主婦が始めたお店と紹介され、それを見たNHKからも取材が入り、「おはようにっぽん」でも紹介されました。そして、地域にも知ってもらえるお店になっていきました。今では、個人のお客様だけでなく、地域のブティックのお直しや自由が丘のお店の注文と、昨年から、生活クラブのエッコロの袋の注文も入り、いそがしい毎日です。
40,50代の主婦のお店から、60,70代のおばあちゃんのお店になりましたが、老眼鏡をかけながら、お客さんに喜んでもらうことが、仕事をやっていて良かったと思う瞬間です。
これからも、地域の人に喜んでもらえるお店、ワーカーズ「いと」でありたいと思います。
(M . H)
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◇1992年
洋裁教室を始める。
平和堂(婦人服・洋服直しの専門店)と契約。
草加センター酒屋業務委託を受ける。
せっけんの家活動:水と環境を守るせっけんの販売。
◇1993年
ビラまき宣伝をした。
リサイクル品の扱いを始める。
W.Co.連絡会に堀が役員として参加。
ワーカーズ・コレクティブ全国会議に参加。(埼玉で開催)
エプロン、袋物、子ども服を作り、生き活きまつり・どきどき市に出店。
◇1994年
ホワイト急便(クリーニング店)、エレガンスエナジー(婦人服)と契約。
平和堂と合わせて、洋服の修理・直しの仕事を広めた。
フリーマーケット(北越谷・松並木・中央公民館まつり・生き活きまつり
獨協大学学園祭)に参加。
◇1995,1996年
平和堂、エレガンスエナジーの仕事がなくなる。
マザーズハウス手づくりフェアに参加。
越谷市民ネットでネクタイを使ったリフォーム教室を実施。
タンスで眠っている和服のリフォーム依頼の仕事が出てきました。
ワーカーズ・コレクティブ全国会議に参加。(東京で開催)
私が「ワーカーズ・コレクティブ」という名称を初めて聞いたのは1989年、末の子も小学校へ上がり何か仕事をしたいな、と思っていた頃でした。「雇われない働き方、自分たちで働き場を作って労働に見合う報酬を頂きながら社会に関わってゆく」という話に共感して、ぜひ一緒にやってゆきたいと思いました。
その時は草加センターの第2会議室一杯の人が集まったと思います。そこで「洋裁」を仕事としてやってゆくということになりました。センターの会議室の一部を無償で借り、どなたかがミシンを運び込んで作業場としました。私も見よう見まねでエプロン等縫って、生協のお祭りで販売したりしながら細々と営業していました。その準備期間は3年間でしたが、実際その時に関わっていた人が何人いたのかは記録もなく分かりません。他の人がどんな仕事をしていたのかも私には分かりません。
3年の準備期間後、正式発足しなくてはいけないという生活クラブとの約束事があったのでとても悩みました。今の細々とした仕事のやり方では机1個分5,000円という家賃が払えないからです。丁度その時、我が家の3Fの部屋が空き、そこを使って7名のメンバーで「正式発足」となった訳です。(12坪の部屋を机1個の家賃で使う訳ですから、オーナーの夫の賛成はもちろんもらえませんでしたが‥‥)
すぐに止めた方もいましたが、新しい方も入ってきて、月1回企画会議を開き、会計も経営も皆で分かり合ってやってゆくようになったのは、ひとえに他ワーカーズのことも分かり渉外を一手に引き受けてくれた堀さんのおかげです。
鍵のかかる部屋が持てて、地域の婦人服店からの直しも預れるようになって、いとのパンフレットを持ってあちこち営業に行きました。その頃は生活クラブ組合員からの注文が本当に有り難かったです。 (T . Y)
自宅のポストに入っていたちらしを見てからいとに遊びに行くようになり、1993年「いと」に関わりました。「着物をスーツやベストなど気楽に着られる和服独特のものが出来るのはいいね」と話し掛けた方は、身体が不自由で大好きな着物が着られなくなった方でした。参考になるものを見せて、病院通いにも使えるスーツ、おそろいのポシェットなどを仕立てました。
「一人で着たの? よく似合うよ!! 優しい春の色ネ、と看護婦さんに褒められ、病気まで良くなったようで嬉しく心が弾んだ。」それを聞いた時、目がウルウル。
私の出来る事はこれである、と心に決め今日迄続いています。 (T . F)
コーヒーうさぎ
△仕事場での展示会 1
◇1997年
「さいたま女のネットワーク」にいとが掲載される。
「めだか」(草加市内の障がい者グループ)のラーメンを販売。
WNJ(ワーカーズコレクティブ・ネットワーク・ジャパン)全国会議に参加。(東京で開催)
着物のリフォームの仕事が定着してきた。
☆第1回展示会 いと仕事場を会場に開催。
◇1998年
ホワイト急便契約終了。
毎日新聞、NHK、産経新聞の取材を受け、草加以外からの問い合わせ・依頼も増えた。
夜間の部屋貸し(水彩教室、水墨画教室、華道教室)を始める。
W.Co.連合会に参加。堀がW.Co.事務局を受ける。
夏の研修を始める。
☆第2回展示会。いと仕事場にて開催。
◇1999年
たまり場スペースとしてリフォーム教室を年2回開催。
①着物地のブラウス
②ウェストゴムのパンツ。
草加市川柳文化センターの依頼で子育て講座に講師として参加。
草加市消費生活展リフォームファッションショーに参加。(以後毎年参加しています)
「まるやま」(洋装店)の直し業務を始める。
☆第3回展示会。いと仕事場にて開催。
◇2000年
リフォーム教室開催。(リバーシブルベスト)
「きものサロン らら」(百合が丘)からの注文が入る。
和布を利用したポーチ、ブックカバー、袋物、帯地のバッグ、コーヒーうさぎなどが、いとの定番作品として定着してきた。
いとの趣旨を理解して共鳴し、リフォーム作品の素材を提供してくれる人が多くなってきました。
△帯地のバック、ポーチなど
☆第4回展示会。いと仕事場にて開催。
◇2001年
リフォーム教室開催。
① 裂き織のコースター
② ネクタイのポーチ
生協のバザー、旬のバザールに参加。
WNJ全国会議に参加。(東京で開催)
エッコロ袋注文が終了。
△仕事場での展示会 2
☆第5回展示会。いと仕事場にて開催。(年々来場者が増えてきました。)
〈展示会〉
いとのメンバーになって16年になります。
3階のいとの職場まで通った16年間、あっという間に過ぎたような、長かったような…。
いとでの展示会が始まり、私は手作り作品が1点も出せなかったことを思い出します。
いとが手狭になり、私の友人が展示会をしていたオガワホームギャラリーで、いとでも開催するようになり、大勢来ていただき盛況でした。オガワホームから現在はアコスギャラリーを借りて毎年大勢来て頂き、いとの年に1度の人気イベントになっています。(お客様に喜んでいただけるのがいちばん!)
身体が動くうちは出来る仕事かなーと思い、みんなでやっている事で、いろいろありますが勉強にもなって、今の私なのかと思います。
(T . N)
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◇2002年
リフォーム教室:
①帽子
②ミニエプロン
アビューズ(五十嵐・和小物のインターネット販売)、関口商店(自由が丘・リフォーム小物・洋服など)から定期的に注文が入るようになりました。
各地の催しものに積極的に参加。
新たな注文も増え、随時の教室の利用者も増えてきました。
☆第6回展示会。いと仕事場にて開催。
◇2003年
リフォーム教室:
①ポーチ
②パンツ
業務高が上がりボーナスを出すことが出来ました。
☆第7回展示会。いと仕事場にて開催。
◇2004年
リフォーム教室:チューリップハット事業届を出しました。
スカーフ、猫のティッシュケース、ブローチ等が定番作品に。
☆第8回展示会。いと仕事場にて開催。
◇2005年
リフォーム教室:花ブローチ 。
消費税を導入。
WNJ全国会議に参加。(神奈川で開催)
『ホップステップワーカーズ』に掲載されました。
☆第9回展示会。オガワホームギャラリーを会場に開催。
地域のグループに積極的に参加を呼びかける。以後恒例に。
二日間盛況に盛り上がりました。オガワホームの『せせらぎ通信』、タウン誌:ショッパーなどに掲載され、多くの人にいとを知ってもらうことができました。
☆パラマウント(ワーカーズコープ:足と靴の健康診断)と共に秋の展示会開催。会場 いと仕事場。
親睦のハイキングを始めました。
◇2006年
リフォーム教室:ブラウス。
「らんらん」(草加市内の洋品店)の直しが定期的に入るようになりました。
越谷のリサイクルワーカーズ「こぶくろ」(和布のふくろう作り)、
生活クラブ「大人の学校」(和服リフォームの簡単ブラウス)に講師派遣。
ウェーブに求人広告を出す。見学者2名。
☆第10回展示会。オガワホームギャラリーにて開催。
☆カサブランカ(草加市内のギャラリー)に地域のグループと共同で出店。
両親を送った後、「ミシンがまっすぐかけられれば、仕事があるわよ」と友人が声をかけてくれて、いとのメンバーに入りました。営利追求を目的にするのではなく、地域に必要な仕事を作ってゆくというコンセプトにも共感したのでした。
あれから14年、きっちり技術を身につけている人たちとの大きな差(「ミシンをまっすぐかける」ということは、けっこう難しいことでした! 今でも……)、母と同じ病気で手術したことなど、さまざまありながら、ここで仕事をしたいと続けてこられたのは、「ワーカーズであるメンバー」が仲間だったおかげ、そして、お客様と「ものを大切にしたい」という思いを共にできている実感のおかげだと思っています。
まわりに迷惑をかけまくりながらですが、これからも一所懸命、気持ちよく働いてゆきたいと思います。 (S . O)
▽和布のネックsレス
私が「いと」を知ったのは今から13年前、いとのメンバー(山本)が他の会(草加友の会)の代表をやる役が来、それだったら誰かかわりの人を連れてくるようにとのことになり、そこで白羽の矢が私の所に飛んで来たというわけ。私は自分の物は好きで自分なりに縫ってはいたものの他人さまの物はましてお金をもらって縫うなんて……。こんな思いで始めてこの年月になりました。
この仕事は、やとわれているのではなく、私達一人ひとりが働いているという感じですので働きやすく、ワーカーズの感じが私にはいいのかと思っていますが、仕事の内容自体は私にはむずかしい事もあり先輩に教わったりしながらの日々です。
体の調子をくずし、後どれだけかと思う状態ですが、楽しくやっているのです。 (S . F)
◇2007年
リフォーム教室は実施できず、通常の教室は定着してきました。
韓国生協連、生協研究所、見学研修に来訪。
☆第11回展示会。オガワホームギャラリーにて開催。
☆カサブランカに出店。
◇2008年
吉川市精神障害者小規模作業所「ひだまり」のマイバッグ(傘のリフォーム)を販売。
☆第12回展示会。
草加駅前アコスホールギャラリーを会場に開催。教室の生徒さんの作品も展示。
「ひだまり」のマイバッグ、暮らしセンター「べしみ」のクッキーも販売。
アコスホールギャラリーでの展示会
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◇2009年
WNJ全国会議(埼玉で開催)に参加。
各地の催しものに積極的に参加しました。(草加市内:「ふらここ」など)
☆第13回展示会。草加駅前アコスホールギャラリーにて開催。
◇2010年
生活クラブ生協から「エッコロの袋」定期受注。
☆第14回展示会。草加駅前アコスホールギャラリーにて開催。
◇2011年
事業高の落ち込みに対して人件費の割合を下げました。
WNJ全国会議(千葉で開催)に参加。
☆第15回展示会。草加駅前アコスホールギャラリーにて開催。展示会収益の5%を東日本大震災義援金として送りました。
☆草加市産業物産館にて:ミニ展示会開催。(12月)
〈いととわたし〉
何時もなら、生協の申し込みは当日の朝あわてて目を通して注文して、OCRと一緒に入っているチラシには目を通すこともないのに『いとで一緒にやりませんか』の募集のチラシが目にとまりました。なぜか心が動いたのでTELしてみました。AM10:00~PM4:00までで交通費は出ません。出来高制の%とのこと。見学方々草加に。
▽夏にはみんなで研修見学に出かけます。
◆20年間、いとを支えてくださった大勢の方々、一人ひとりに心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
2013年2月 リフォームいと メンバー一同
〒340-0015
草加市高砂2-18-39 山本ビル302
TEL 048-927-7714